先月の京都の五山送り火の前に、こんなニュースが。
京都や関西の人にはまだ、記憶に新しいかもしれない。
大文字を始め五山の送り火は、かつて「十山」だったと聞いてる。
現存する五山以外の送り火が廃絶したのは明治期とも言われてるらしいけど、
今や写真が残ってないどころか、いつ廃絶したかや、そもそも場所が何処だったかすら明確でないらしい。
そう昔でもないのに記録が無いなんて、不思議なもんだな。
一説に庶民の行事が起源と聞いた気もするし、そのせいもあるのかな。
見つかった「火床の痕跡」が、もしちゃんと「い」の形に並んでいたなら、
それこそ本当に大発見だし、幻の送り火の復活にすら繋がるかもしれない…
そう考えると、ワクワクしてくる。
ただ、少ない物証だけで「送り火の痕跡」と言うのは安直すぎんじゃないの、という声もあるらしい。
それもそれでその通りと思う。
「送り火の痕跡」がある場所の全容はどうなってるのか、
そもそも本当に送り火の跡なのか、
続報を楽しみにしとこう。